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今夜の番組チェック

ウェリガナイザ

暗黒の輪 3

 パチパチとはぜるまきの音を聞きながら、アルフィスは暖炉の前の安楽椅子に身を沈めていた。
 寒い訳ではないのだが、煙の臭いや火影の踊る様子、時折舞い上がる金色の火の粉を眺めるのが好きなのだ。
 右手の硝子の杯には領内でかもし、蒸留された琥珀こはく色の酒。てのひらで温められて、その得も云えぬ香りで鼻孔びこうをくすぐる。
 そして足下の高価な敷物の上にエーリアル。彼の足に身をすり寄せ、猫か犬のようにまるくなって眠っている。
 つい最近まで大家族で放浪していた彼女は独り、寝台で眠りにつく事に慣れていない。彼女の世話を任されている侍女がエリアに与えられた小部屋で寝間着を着せてきても、すぐに書斎しょさいで手紙を書いたり、居間でくつろいだりしているアルフィスの元へと現れ、何をするでもなくいっしょに過ごし、そのうち寝椅子や敷物の上で眠ってしまうのだ。
 別に邪魔になるわけでもないし、妻に先立たれ、子もいないアルフィスとて寂しさを覚えている事にかわりはなく……。
 いつの間にかエリアの姿が見えないとイライラする事が多くなった自分に気付いていた。
 エーリアル。年も、本当の名もわからぬラスティの娘。
 あれは三月程前、雪が積もることのない温暖なこの地方とはいえ、寒風が吹きすさぶ初日月はつひつきの終わり――


 グァドの森の周辺を巡回していた兵士の一団が彼女を見つけた。小川のほとりに一人で倒れていたのだ。
 服装や顔立ちから、多分コーサの村で騒ぎを起こしたラスティの一家の娘だろうと思われたが、周囲に家族がいる様子はない。
 もしやと思った警備隊の隊長が、嫌がる兵士を引き連れて森の縁辺へと踏み入り、七人のラスティと二頭のラバの死体、彼らの箱馬車を発見したのだった。


 十四年前、不気味な黒い波動が感知されたとして、《賢者の塔》より数人の魔法使いがグァドの森へとおもむいた。
 そしてその中心部に黒い輪を見つけたのだ。
 そう、それはまさしく《輪》としか呼びようがない。
 木々やち葉、草やシダ、果てはコケや石までもが黒く変色し、瘴気しょうきを放つ円形の場所。
 彼らはその有様を一目見るなり身震いし、こう宣言した。
何人なんぴとたりとも彼の地に足を踏み入れるなかれ』と。
 そして、報告を受けたエーリアル公爵は《輪》そのものだけでなく、グァドの森全体を立入禁止とした。
 しかし人間には怖い物見たさ、という始末に負えない性癖せいへきがある。噂を聞いて、禁を犯して森へ入って行った何人かが行方知れずとなり、その頃から夜間、奇妙な遠吠えのような音が森から響き始めた。
『グァドの森に足を踏み入れた者は物のになる』
 そんな噂さえささやかれ始めたのだ。
 《塔の賢者》達は定期的に《輪》の調査を行わせているが、消滅させる事も、それが発生した原因をつかむ事も出来ないでいる。それどころか、《黒い輪》はじわじわとその範囲を拡げ、今ではそれが円形であるというのは、水晶を使って視点をはるかな高見に引き上げるか、竜にでも乗って空から見下ろすのでなければわからなくなっていた。
 もしもラスティの一家をおそった悲劇が《輪》と関わりがあるのなら、わずかでも事情を知りたい、とアルフィスの元へ連れてこられた少女は三日三晩眠り続け、目を覚ました時、声を出す事が出来なくなっていた。
 《賢者の塔》の若い治療師の見立てでは、喉そのものに問題はなく、心のやまいだろうという事だ。
 きっと彼女は世にも怖ろしい経験をしたに違いない、と。
 彼女は文字を知らず、事情どころか名前をく事すらできなかった。ラスティには戸籍というものがなかったし、流れ者の娘の名など、知っている領民もいない。
 心根のやさしいアルフィスは彼女が不憫ふびんになってしばらく面倒をみてやる事にし、名無しでは不便だからと自分の領地の名を与えた。エーリアル、と。




 怖すぎて声もでない。
 穴の中で燃えるき火のわずかな明かりだけでは、その姿をはっきり見定める事はできなかったけれど、二本足で歩く、何か異形のものが何体も暗いグァドの森の奥から現れて、鋭いかぎ爪であっという間にエド叔父さんとエリン叔母さんを引き裂いた。
 立て続けに響くリリンのけたたましい悲鳴。
 グリンの泣き声。
 かあさんは倒れたエド叔父さんにすがりついて半分泣きながら何か訳のわからない事を口走っている。とうさんが馬車から斧を取ってきた時には、じいちゃんとばあちゃんも血まみれになっていて、カリンはおしっこをもらして座り込んでいた。
「うおぉ――っ!」
 とうさんが斧を振りかざして化け物に向かっていく。
「ぐぅっ……」
 怪物の一匹の太いむちみたいな腕が彼女の喉に巻き付いた。
 苦しい!
 ぼやけた視界の中で父さんの腕にも物の怪のつるが巻き付く。
 彼女の身体がぐったりとくずおれ、そのまま森の奥へと地面を引きずられていった。




 風がうなる――
 肌ではなく魂に感じる冷気に身を震わせたルシは寝台に横になったまま目を開いた。
 真夜中。
 扉も窓の板戸も閉ざされ、ロウソクの明かりひとつない室内は、猫でさえ目が利かぬのではないかと思えるような暗闇。
 だが、ルシには見える。天井の羽目板の木目、節穴、土塗りの壁のコテのあと……。
(どうして……?)
 いつもいつも、浮かんでくる疑問。
 なぜ、自分には闇を見透かす事ができるのか?
 レイドもマリエンも、いや、彼の知っているすべての人々は夜になるとロウソクやランプを灯し、あるいは暖炉に火をいれる。それは彼らが闇の中での視力を持たぬからだ。
 だが、ルシは違う。
 彼は明かりを持たずに暗い地下室に降りて蜂蜜のビンを探したり、月のない夜道に落ちている銅貨ペニングルを拾う事ができる。それを知った時、レイドはルシにこう云った。
「皆の前では暗い所では見えていないふりをしなさい」と。
 つまり、あまりめられた能力 ではない、という事だ。
 何年か前、知った。魔族とも呼ばれる闇の一族の者達は真の闇を見通す事ができると。
(魔族……?)
 ルシは本当の両親を知らない。別に知りたいとも思わなかった。レイドとマリエンは実の子としてルシを可愛がってくれたし、ルシも二人をとても愛していたから。
 だけど……
 この頃夜になると声が聞こえてくる。
 声、というのは間違いかもしれない。それは普通に耳で聞く音とは違っていたから。
 なんと云えばいいのだろう? ルシには心話の力はないはずだったが、もしかしたら心話というのはこういう感じなのだろうかと思える声。
 何を云っているのかはわからない。でも、それはルシに呼びかけているとしか思えなかった。何かを伝えようとしている声。
時期ときは近い――』
 またしても闇から湧きでてきたような声を感じて、ルシはガバと寝台に半身を起こした。驚いた事に今夜ははっきりとその言葉を聞き取れる。
時期とき……? なんの……時期だ?」
 ルシの舌は重く、乾いた唇から漏れる声は細くかすれていた。
『来ればわかる。――来い! 来い……来い……』
 頭の中で言葉が渦巻く。
『来い……来い……来い……来い……』
「どこへ……一体どこへ行けって云うんだっ?」
 髪をくしゃくしゃにして頭を抱えたルシが叫ぶと、その言葉の洪水は去った。唐突に。
 「なん……だったんだろう、あれは?」
 さっき自分が叫んでしまったのを思い出して、レイドとマリエンを起こしてしまったのではないかと懸念けねんしたが、隣の寝室から物音が聞こえる様子はない。が、すませたルシの耳に板戸を叩く小さな音が飛び込んできた。ぎくりとして思わず寝台から落ちかける。

 コンコン――

 間違いない。彼の部屋の窓を誰かが叩いているのだ。
 唾を飲み込んで、そっと床に足をおろす。板戸に口を近づけて囁いた。
「誰?」
 返事はない。聞こえなかったのだろうか?

 コンコン――

 ルシはがねを外して、観音開きの戸をゆっくりと押し開けた。
 震えるほどではないけれど、露を含んでしっとりと冷たい春先の夜気が流れこんでくる。
「エリア……?」
 ルシの目に映ったのは寝間着姿のエーリアル。公爵の小間使いのニーナがいくら梳かしつけてもすぐにくしゃくしゃにしてしまう金髪も、与えられた靴を決して履こうとはしない泥に汚れた素足もいつものまま。
「どうしたんだい? こんな夜中に?」
 口のきけないエリアは黙ってルシの顔を見つめると、五、六歩さがって、おいでおいでをした。
「いっしょに来いって云うの?」
 エリアがうなづく。その琥珀色の瞳はいつもに増して寂しげで哀しげ。
 ルシの心にその寂しさや哀しみをいやす為ならどんな事でもしてやりたいという衝動が湧き起こる。
 エリアの小さな体は幻のようにはかなげで、早くつかまえないと消えてしまいそうだ。
 まぼろし――
(あの声――)
 あれは云った。『来い』と。そして、その直後にエリアが彼においでおいでをしている。
「エリア……君は、一体……」
(ううん。そんな事はどうでもいい。僕は……)
 知らぬ間にきつく握りしめていた窓枠を放して、静かに、手早く身支度を整えた。寝間着で出歩くにはまだ寒い季節だし、ルシにはエリアのように素足で外を歩き回る事はできない。
 身軽に窓枠を乗り越えて外に出ると、持って出た肩掛けをエリアにかけてやった。落ちないように胸の辺りで結んでおく。




 その音色はとてもやさしくて
 その声はとてもあたたかで
 なのに その調べはとても切なくて――

 ルシの竪琴と歌に耳を傾けていると心がどこかに漂いだしてしまいそうだ。その黒い瞳を見つめると無限の深淵に吸い込まれてしまいそうになるように。
 はじめて会った時、なんて綺麗な男の子なんだろうと思った。まるでお伽噺ときばなしにでてくる旅人を惑わす精霊のようだと。
 親切に話しかけてくるその声は、公爵の館で生まれて初めて口にした高価な砂糖菓子のように甘く、おびえていた彼女の心を包み込んだ。
「さよなら」
 とルシが云った時、なぜだかとても悲しかった。
「……また明夜あした
 とその唇が言葉を繋いだ時、胸の奥がキュッとなった。
 あれから三月たった今もその感じは変わらない。
 ううん、前より強くなったみたいだ。彼女にはその気持ちに名前をつけてはっきり意識する事はできなかったけれど、もしも声を出す事ができたなら、ルシにむかってこう云っただろう
「大好き!」と。
 それでも彼女はルシをあそこへ連れて行かなければならない。
 彼女にはそれが意味する事を理解できなかったし、何よりも優先させなければならない事があったから。




 月明かりを頼りにエリアはルシをいざなっていく。
 何かを決意したようにまっすぐに口をひき結び、懸命に足を動かし続けていた。ラスティの暮らしは旅そのものだ。だからエリアのような小さな女の子でさえ、かなりの速さで、かなりの距離を歩く事ができる。
 夜闇の中になお黒々と陰をなす巨大な木々を認めて、ルシはエリアの目的地を知った。
 グァドの森。
 エリアの身内の死体が発見された場所。
「エリア、だめだよ。このままじゃ、あの《黒い輪》に……」
 云いながらもルシには何となくわかっていた。その《黒い輪》こそ彼らの目的地なのだと。なぜそんな風に思ったのか、説明する事はできなかったけれど。
 天蓋てんがいのように空をおおった木々の枝葉にさえぎられて、わずかばかりの月光さえ届かなくなり、道を見失ったエリアが足を止めた。
 と、バサバサという羽音をさせて一羽の大がらすが二人の前に降り立ち、光を発し始める。
 赤っぽい、ぼんやりとした光。
 その尋常じんじょうでない光景に、ルシは安全な我が家に向かって逃げ出したいという衝動を必死でこらえた。
 羽音に怯えてルシにしがみついていたエリアと二人、その鴉を凝視する。
 が、しばらくするとエリアはゆっくりとルシから離れ、再び歩き始めた。
 光る鴉は少し先へ飛んでは止まり、飛んでは止まりして、彼らの行く先を照らし続ける。ルシには用のない光だが、エリアには必要なのだ。
(明かりがいらないっていうのは、僕も充分化け物のたぐいにはいっちゃうのかな)
 昼間のように、というのとは少し違うのだが闇の中で物を見分けられる自分の能力をうとましく思いながら、黙々と鴉の後についていく。
 ここまで来て引き返す訳にはいかない。ルシはどんな事があっても最後までエリアにつき合うつもりだった。
 そして、とうとう、彼らはそこに達した。
 《黒い輪》
 大地を染め、瘴気しょうきを放つ暗黒の領域。
 話には聞いていたがルシも目のあたりにするのは初めてだ。
 数歩前にいるエリアの体が小刻みに震え始めた。その理由は明白だ。多分、ルシも彼女と同じものを感じていたから。
 恐怖――
 そこから発散される何かが心の奥深く働きかけ、肌を粟立あわだたせ、胃をしめつける。恐ろしさに立ちすくみ、息をする事さえ忘れてしまいそうだ。
 案内を務めてきた鴉が羽ばたき、闇におかされて全体が黒く変色してしまっている木の大枝にとまった。
 今までずっと後ろをついてきたせいでわからなかったが、正面を向いた鴉の眼には残忍な知性が宿っている。
 まるで、何かを伝えようとするかのように、鴉はしわがれた声で鳴き声をあげた。
 エリアがビクンと跳ね上がり、小さくあえぐ。ソロソロと左足を踏み出し、続いて右足……。
 のろのろと、一歩ずつ、《輪》へと近づいていく。
(エリア!)
 舌が喉の奥にはりついたように動かない。早鐘のように打つ自分の鼓動の音が耳を圧し、血が血管をこすっていくザーッという音さえ聞こえるような気がする。
 行くなと呼びかける事も、手をつかんで止める事もできないまま、ついにエリアは《輪》に足を踏み入れた。
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