[PR]今日のニュースは
「Infoseek モバイル」

旅先の出来事1



Episode3   ヒッチハイク
 青い空、乾いた風、どこまでも続く一本道……
 インドを旅する9日間のパックツアーに参加した私はジャイプールからアグラへ向かう車の中にいた。
 車……そう、セダンタイプの普通の乗用車である。行程表にはバスと記載されていたのだが。
 ツアーの参加者は総勢4名。私と妹、一人参加の男性Aさんと、女性Bさん。
 そもそも、それぞれにシングルを予約していたAさんとBさんの部屋がダブルひとつになっていて、新たな部屋を用意させなければならなかったりとか、初めから波乱含みの旅ではあった。が、バスのはずが2台の車に分乗させられた事があんなトラブルに発展するとは……
 日本語の話せる現地ガイド(本人いわく日本への留学経験あり。エリートのインド人)は運転手、AさんBさんといっしょに先行する車に乗っていたので、私の車には日本語まるっきりダメの運転手と妹の3人だけだった。
 車窓を流れる乾期のインドの荒涼とした景色を眺めながら、私と妹は前日、オーランガバードからジャイプールへ移動するにあたって、早朝からたたき起こされたうえ、長々と空港でキャンセル待ちをさせられた事に対する腹立ちなどを語り合っていた、のではないかと思う。
 と、車が止まった。
 何もない、荒野の真ん中で。
 運転手が車を降り、ボンネットを開ける。こ、このシチュエーションは……
 そう、エンスト、だ。
 ちょっと待ってェな! こんなガソリンスタンドはおろか、公衆電話も店屋も民家すら見当たらへんような異国の地で? 頼れるのは今日初めて会うた言葉の通じへん兄ちゃんだけやっていうのに?
 やめてェ――!!
 天は我々を見放した!
 本気でそう思た、まさにその時。
 一台の車が通りかかった。運転手の兄ちゃんが手を振ってその車を止め、向こうの車の人間と話してから、我々の所に帰ってきた。身振りから察するにあっちの車に乗れ、と云いたいらしい。で、行ってみる。
 その車には現地人の運転手と白人の男女が乗っていた。観光客とガイドってとこか。挨拶もそこそこに乗り込むと、車は我々の運転手をその場に残して発車。
 えーっ! だっ、大丈夫なのォ?!
 大丈夫でした。私の英語力ではよくわからなかったけど、偶然道連れになった二人はイギリス人のご夫婦。英語も満足に話せない見知らぬ旅人二人を、にこやかに迎えてくれたお二人、本当に感謝です。
 そして我々は途中のドライブインで無事ガイドの乗った車に追いつきました。ガイドの乗ってた車は軽とはいえ、ワゴンタイプだったのでなんとか6人乗りしたものの、決して近いとは云えない残りの道のりを行くにはかなりキツキツだったけど。
 しかし、私と妹の苦難はこれでおしまいではなかった。
 だけど、その話はまたいつか。
 後日、このツアーを主催していた会社が一部の人にJitto Tatteru Baka と呼ばれている事を知った



Episode6   スペインのおじいさん
「アナタハ ニホンジン デスカ?」
 突然、声をかけられた。ヘレス・デ・ラ・フロンテーラというスペインの町で。
 かみつくと二人、地図と町のあちこちに掲示されている通りの名前を見比べていた時の事。振り向くと小柄な老人のにこやかな顔。たどたどしい日本語に不信の念を抱きながらも
「シ(はい)」と答えると
「Haw are you?」
 スペインなまりの英語に更にとまどいながら
「ビエン!(元気)」と返した。
「Where are you going?」と訊かれたので
「エスタシオン(駅)」と云うと
「Come on! Please」と云ってスタスタと歩き始める。
 え?! ち、ちょっと待って!
 なんかだよくわからなかったけど、我々がついてくると決めてかかっているような老人の態度に二人してオドオドとついていく。
 このじいちゃん、行動も迅速だけど舌もよく回った。スペインで英語を話すのはインテリなんだと誇らしげに説明してくれたけど、son(息子)をソンと発音するようなスペインなまりが強くて理解するのにちょっとした推理力を要する。
 要約すると、弟が20年くらい日本に住んでいて、日本人の世話になっているから、自分はスペインで日本人の世話をするんだ、という事らしい。
 なんだかノルウェイで出会ったレイフを思い出した。日本に旅行した時、日本人に親切にされたからって、お友達の家の昼食に誘ってくれたり、車で街を案内してくれたり――
 え?! 何?
 老人がポケットの中の財布から名刺を取り出して見せてくれた。
「慶応義塾大学スペイン語講師ィ!」
 へー、この人の弟って慶応で教えてるんだ。かみつくと顔を見合わせて感心している間に老人はおしゃべりを再会する。どうやら去年退職して暇を持て余しているらしい。それまでは酒場で働いていたとの事。どうりで話好きなワケだ。
 色々話しているうち老人が
「君の友達は全然しゃべらないね」 と云って少し後ろを歩いていたかみつくを振り返る。
 彼女と私ではまだ私の英語の方がマシなので旅行中、英語でしゃべるのは私の役目、みたいな習慣ができあがっていて、彼女は聞き役に徹していたのだ。
 笑えたのは、「日本にはそんな猿がいるだろう」と三猿の真似をしてみせてくれた事。「彼女は『云わ猿』だね」と。
 いや、なかなか結構なパフォーマンスでした。
「駅には何をしに行くんだ?」と訊かれたんで
「セビリア行きの列車の時刻表を見に行く」――そう、我々はトーマスクック(時刻表)を日本に忘れてきたのだ――と云うと「バスのも見に行こう」とバスターミナルへ連れて行かれた。
 窓口で係員に発車時刻と料金を訊いてくれる。
 それから国鉄駅へ。時刻表を写し終えてお礼を云い、これから郵便局に行くからと別れようとすると、やっぱり案内してくれる。おまけに何が欲しいのかと訊いてきて、局員にそれを伝えてくれた。
 おしゃべりしながら街へ帰る。ヨーロッパの駅は大抵町外れにあって町中に線路は走っていないから、このおじいちゃんにもちょっとした運動になったんじゃないかな。
 前もって街のインフォメーションで教えてもらっていた食堂の近くまできたので、昼食にするから、と別れようとすると「安くていい店を知ってる」とまた先にたってとある店へ。
 その名も『レスタウランテ・エコノミコ(経済的な食堂)』
 結局そこは我々が行こうとしてた店だったんだけどね。日替わり定食の内容を訊いてくれて……
 さすがにいっしょに食事はしないで帰っていきましたが……
 ちょっぴり強引でおちゃめなじいちゃん。見知らぬ土地の人との交流っていう旅の楽しみのひとつを与えてくれました。
 豆知識
 デ・ラ・フロンテーラっていうのはレコンキスタ(国土回復運動)のなごり。イスラム教徒から領土を取り返したキリスト教徒側の最前線の町に次々とこの名前がつけられた。スペイン南部には、なんとか・デ・ラ・フロンテーラって名前の町がたくさんある。
 へレスは昔シェレスと発音されていて、それがなまって英語のシェリーになった。シェリー酒の醸造所がいくつもあり、見学、試飲もできる。
 風日が見学したゴンサーレス・バイアス社では醸造所見学といっても樽が並んでいるのを見ただけで、実際に何かしているのは見られなかったけど、見学無料にも関わらず3種類の試飲をさせてくれました。サント・ドミンゴは甘いんだけどピリッとした辛さが舌に残る。アルフォンソはひどくあっさり。ティオ・ペペが一番好みかな? と思ったけど、香りはほとんど梅酒。ま、タダ酒はうまいって事ね。



Episode10   アテネのタクシー
 かみつくと二人、アテネの空港に着いてバス乗り場に行くと《ストライキ》の札が出ていた。
 ショック!
 ボー然と立ちつくしているとタクシーの運ちゃんが寄ってきた。超緊縮予算なのにはじめっから散財なんてしたくないよォ、なんか他に手はないのか? と、とりあえず断った。
 しかし、空港から街まで歩くなんて無理だし、どうやら他に手はないらしい。さっきとは別のタクシーの運ちゃんがやってきた。街の中心部にあたるシンタグマ広場までの大体の料金を訊いてみる。が、返ってきた答えは
「メーターがあるから大丈夫」だった。
メーター倒さずに客を乗せて法外な料金をふんだくる悪徳タクシーの話は聞いていた。でも、やっぱり気になるのでホントーにおおまかでいいから教えてくれ、と云っても
「心配ない。ちゃんとメーター通りの料金しか貰わないから」の一点張り。
 ガイドブックによれば800〜1000ドラクマ。まあ、仕方がないか、とそのタクシーに乗った。
 運転しながらガイドをしてくれる。結構いい人じゃん、なんて思い始めてたら、アクロポリスを一周してからプラカへいかないか? ときた。そんなお金ないよー。
 安宿が多いというプラカへ到着。メーターの数字は[800.0]。千ドラクマ札を差し出すと8千だと云われて1万ドラクマ札を渡した。
 え?! ちょっと待って! 8千?
 そんなバカな事があるもんか。アテネのタクシーメーターには小数点がついているのがあるって聞いてたけど、これだ!
「8千じゃない、800だ!」と叫ぶ。
「いや、8千だ」と運ちゃん。
「ツーリストポリスへ行こうか?」というと
「文句あるんなら、このまま空港に引き返すか?」ときた。
「結構。引き返してもらおうじゃないの」
 とすったもんだして、千ドラクマ札1枚ずつ、7枚まで取り返した。
「あと2枚、返しなさい!」
「冗談じゃない、これは8千だ」とメーターを示す運ちゃん。
「ホントに8千ならなんで7千返したのよ?  やっぱりツーリストポリスに行こう」
「あー行ってくれ」と我々を降ろそうとする
「いっしょに行かなきゃ意味ないじゃない」と云うと
「これを持っていけ」と名刺を差し出す。
 何とかしてタクシーを降ろそうとする運ちゃんと更に激しい口論の末、残り2千を取り返した。ゼーゼー……。
 やった! 勝った!
 それでもあんなバカッタレに200をチップとして渡してしまった事になる。
 私とかみつくの南欧旅行はこんなトラブルから始まった。
 記録がないんではっきりしないけど、当時1ドラクマ0.9円くらいだったんじゃないかと……
 ちなみにこの日の宿は荷物抱えてうろついてる時に声かけられた、玄関に椅子だして新聞読んでたおっちゃんの所。二人で1泊2500ドラクマくらい



Episode13   学芸会?
 オンボロ車でアグラからデリーへ移動した我々はざっとオールドデリーの観光を済ませた後、ホテルへ向かったガイドに
「インド舞踊は何時頃から観に行くんですか?」と訊いた。
 何の事だという表情をしたガイドに重ねて
「タンドリーチキンも食べられるんですよね?」と尋ねる。
 行程表ではその日の昼食はホテルでタンドリーチキンとなっていたのだが、実際には移動中立ち寄ったドライブイン(それも、物欲しそうな顔をした痩せた子供が、土の壁に素手でこね回した牛糞を塗る補修作業をしている最中の)で食べさせられたわけのわからない野菜の唐揚げだったので、きっと夕食に出るんだ、なんて話していたのだ。
 が、ガイドはそんな話は聞いてない、と云う。
「ええっ、じゃあ、サリーの着付け教室は?」
 行程表を突きつけて、詰め寄る我々にガイドはなんとかする、と答えた。
 大体今回のツアーは全観光付のはずなのに、2日程ガイドが代わったかと思うと別れ際にガイド料を請求されたり、前回(Episode3)書いたように飛行機のキャンセル待ちをさせられたり(何時間も空港で待たされたあげく、陸路をとらされていたらと思うとぞっとする。その前夜、私と妹の部屋の隣にはもっと大人数の団体の添乗員が泊まっていたらしく、飛行機がとれなかったら、半分は列車で移動させるとかなんとか電話で手配しまくる声が響いてきて眠れなかった。ガイドがいれば部屋を換えてくれと云いに行くところだが、行程中ガイドは別の宿を取っていた)
 もっと、細かい事あれこれ、ロクな事がなかったのだ。
 さて、夕方ガイドが迎えに来て連れて行かれた先はなんとYMCA。古びて薄汚れたその建物の中に入ると学校の講堂のような小さな舞台があり、いい加減に木の椅子を並べたその場所にパラパラと人が集まり始める。
 幕があがり、音楽と共に踊り手達が現れた。確かに普段なかなか目に出来ないようなインド舞踊なのだが、どうも動きがぎこちない。ダンス学校の生徒の発表会というカンジだ。
 固い椅子のせいでお尻が痛くなり始めた頃、舞台ははね、デリーでも有名だというレストランへ。店の雰囲気こそ、今までのドライブインとは随分と違ったが、日本人の口に合わなかっただけなのか、とても「おいしい」とは言い難い食事を済ませ、デザートのアイスクリームに……
 これが、また強烈!
 どう説明すればいいのだろう?
 多分、香辛料が独特っていうか……うーん、私は一口食べて気分が悪くなってしまった。
 結局、サリーの着付け教室は、なし。
 いい加減にしてよ!
 と、わめきたい気分だった。
 帰国予定日まであと1日。だが、この後私と妹に最大の試練が……


Episode18〜22   全行程って、どこまで?
 インド滞在最後の夜。私はひどい下痢に苦しんでいた。他のツアー参加メンバーは既に下痢の洗礼を受けていたので、これで全員インドの食べ物にあたった事になる。
 だが、私の場合は下痢だけでなく、嘔吐おうとも伴っていたので便器に腰掛けながらゴミ箱として部屋に備え付けてあったブリキ缶を抱え込む……という悲惨な有様だった。
 翌日――
 飛行機の出発が夜だった為、妹達がニューデリー観光に出かけている間もホテルの部屋で苦しみに耐え、上からも下からも出す物がなくなって、なんとか出歩けるだろう程度に回復し、観光から帰ってきた妹といっしょに荷造りをして、ガイドが迎えに来るのを待った。
 が、迎えがこない。
 飛行機に乗り遅れるー! とイライラしながら待っていると、ようやく登場したガイドに、まるで遅刻したのが自分ではなく我々であるかのように急き立てられた。
 なんとか間に合いそうな時刻に空港到着。が、車を降りたのは参加メンバーだけ。
 ガイド氏いわく「私はアルバイトで正式な旅行社の身分証明書を持っていないから空港内に入れない」
 そんなん、あり? と思いながらも気が急いていたので挨拶もそこそこに、人影もまばらなエアーインディアの搭乗カウンターへ向かった。
 Aさん、Bさんが搭乗手続きを済ませ、次は私の番、と係員にパスポートとチケットを差しだそうとすると……
「オーバーブッキングうぅっっ!!」
 なに何なにっ! 何よそれっ!
 つまり、オーバーブッキングというのは航空会社がキャンセルの為に空席が出来るのを嫌って、座席数より多くの予約を受け付けたのだが、予想よりキャンセル数が少なく、結果、予約があるのに飛行機に乗れない客がでる事をいう……って、その乗れない客って私達の事ォ!?
 私と妹がまだ事態をのみこめないうちに離陸時刻が迫りAさんBさんは搭乗ゲートへ。当時の私の中学1年生レベル(?)の英語でいくら食い下がってもカウンターのオネエちゃんは「ノー・シート」を繰り返すだけ。しかも搭乗予定便が最終だった為、私と妹を無視してさっさと引き上げてしまった。
 飛行機は出るでるチケットは残る……。時刻は既に22時近く、ガランとして人気のなくなった空港。言葉もわからず、ガイドもいない。
 下痢と嘔吐の後遺症でフラフラして脳細胞の働きもいつもに増して悪いというのに、妹と二人きり、異国の地に取り残されてしまった。
 いったい、どうすれば……

 とりあえず、行程表に記載があった旅行会社の現地連絡用番号へ電話をしてみたが、繋がらない。
 何の解決策も見つからないまま、時間だけが過ぎていく。
 照明の多くが消されてしまった空港をさまよって、とにかくもエアーインディアの事務所を見つけ、二人ほど残っていた職員に「なんとかしてくれ!」と食い下がっていると、天の助けがあった。
 たまたま日本大使館職員のEさんが傍らを通りかかり、何事かと様子を見に来てくれたのだ。
事情を話すと、職員に交渉して、ホテルの手配をさせてくれた。そして、何かあったら連絡するようにと、名刺を手渡される。
 時刻も時刻だったし、疲れ切っていた私と妹はEさんにお礼を云って、用意された車でエアーインディアの直営ホテルへと向かった。
 フロントで手続きをし、部屋へ転がり込んだ時には真夜中。朝食用のクーポンは渡されたが、夕食は抜きだ。もっとも、私は体調を崩していて食べられる状態じゃあなかったけれど。
 翌朝、ホテル内にあるエアーインディアの事務所へ。
 ドアに9時から営業と書いてあるのに職員が出社してきたのは9時40分頃。ホントにいい加減な国だ。使われなかった日本への航空券を差し出し「そっちの手違いなんだからさっさと飛行機の手配をしてくれ」と云ってみたが、納得のいく返事が返ってこない。
らちがあかないので、いったん部屋へ引き返し、昨夕電話をかけてみた現地代理店へ連絡する。
「日本語が話せる人はいますか?」
 という下手な英語の問いに返ってきた答えは「ノー!」
 うひゃー! と思いながら、乏しい英語力を振り絞って
「これこれのツアーの参加者だが昨日飛行機に乗れなかった、なんとかしてくれ」と訴えたが
「オーバーブッキングはエアーインディアの責任だ」と云って切られてしまった。
 メチャメチャ腹立つー!
 もう一度、エアーインディアへ。――やっぱり、ダメ!
 仕方ないから、我々がツアーの申し込みをした日本の代理店まで国際電話を申し込む。
 が、しばらく待って返ってきたオペレーターの返事は回線がふさがっていて繋がらない、だった。
 30分おきぐらいに電話しようとしたが、全然ダメ。しまいにはオペレーターが怒って、部屋からオペレーションルームに繋がったとたんに切ってしまうようになった。仕事だろォ、コラ!
 打つ手がなくなったので、心配はかけたくなかったが、ロビーの電話から母に電話して、母から旅行会社に事情を説明してもらう事にした。
 しかし、いくら「現地係員がお世話します」型のツアーだからって、参加者が帰国したかどうかぐらいチェックしろっていうのよ。それで、予定便に乗ってなかったら、事情を調査するくらいの事をするべきじゃないの?

 旅行会社もしくは母からの連絡を待つ間、他にできる事はないかと考え、昨日名刺をもらったEさんに連絡をとってみようと思った。大使館へ電話をかけてみる。が、電話にでたのは片言の日本語と英語をまじえて話す、インド人。
「今日はお休みだからEさんいないよ」という。
 しまった、日曜だった、と気づいたが、ここまできたら頼れるものにはなんでも頼ってしまえ! と、頼み込んでEさんの自宅の電話番号を教えてもらった。
 無事Eさんと連絡が取れ、状況を説明すると、とりあえず、関係者と連絡をとってみてくれると云う。そして、危ないから決してホテルから出ないように、とのお言葉。ありがたくお聞きしたけれど、そのホテルは街と空港の間の荒野の真ん中、みたいな所に建っていて周囲に何もなく、云われなくてもあまり出歩く気にはなれない。電話待ちもしなくちゃいけないし。実際、いつ母、もしくは航空会社及び旅行社から連絡があるかと、食事に行くのも妹と交代で、という状態だった。
 その、食事ってやつも問題だったんだけど。
 ホテル到着時に渡されたミールクーポンは2枚だけ。つまり、二人の1食分。帰れないのはそっちの責任だとエアーインディアに交渉したが追加を出そうとはしてくれない。
 が、その交渉の最中に壊れた私のカメラ(父が会社のパーティか何かの時にゲームの商品として貰った安物。使い始めたとたんに壊れてしまった)をあげた、ボーイさんが通りかかり、訳を聞いて係員に談判してくれた。
 数枚のクーポンをゲット。
 妹が「どうせ壊れてるんだし」と勢いでカメラをあげてしまった(それも私のだったのに)時にはなんて事をしてくれるんだ、まだ新しい電池も入ってたのに、と思っていたが、こんな場面でお返しをしてもらえるとは世の中何が幸いするかわからない。でも、そのクーポンも朝食セットとかランチセットのならよかったのだが、ある金額まで、というヤツでしかもその金額たるやミネラルウォーター1本でなくなるような情けなさ。
 そうそう自腹を切るのも腹が立つので、大したものは頼めない。近所に安食堂でもあればよかったんだけど、ホテルのレストランって異様に高いんだもん。
 ようやく、母から電話が入り、日本の会社が事情調査に重い腰をあげた事を知る。
 本当なら今頃は自分の部屋でおそばとか、雑炊とか、お腹にやさしいものを食べて、慣れた枕で寝ているはずなのに……と思いつつ、その日は暮れた。
 明日は日本に帰れるんだろうか?

 月曜日――
 本当なら出勤してお仕事に励んでいるはずの時刻。
 何もする事がない。と、云うより、出来る事がない。朝からエアーインディアの事務所へは行ったが、はかばかしくなく、電話番の他なにひとつ出来ないでいた。
 そして、何事も起こらないままに終わってしまった。
 火曜日――
 不安のうちに朝を迎える。
 初めての海外旅行がこういう事になってしまったせいで、胃腸の調子はいっこうに良くならない。物が食べられないとフラフラして上手く考えをまとめる事さえ出来なくなってくる。
 たった一人の話し相手である妹との会話だってはずむ訳がない。
 電話の呼び出し音――!
 Eさんからだった。帰国便が決まったという。万歳!
 イライラしながら待つこと数時間。あの「うちには関係ない」と云って電話を切ってしまった現地代理店だかの職員だかなんだかが航空券を持ってホテルへやって来た。
 デリーから東京のエアーインディア便と東京から大阪への国内便。成田→伊丹は便数が少なく、なかなか予約が取れないので
「これは成田から飛んでる飛行機なんですよね?」と念を押す。
「大丈夫。Tokyo→Osakaだ」と請け合うたどたどしい日本語に一抹の不安を抱きつつも
「やっと、帰れるー!」という思いにホッとしながらホテルを出た。
 前回パニックにおちいりかけたデリー空港。
 ボーディングパスをもらう為にカウンターに並ぶ。今度はちゃんとチケットを持って来てくれた人がついてくれていたが、また我々より後ろに並ぶ人はいない。なんでもっとゆとりを持って送ってくれないかなー。
 ドキドキしながらチケットを差し出す。
 係りのオネエちゃんが「アレ?」という顔をした。付き添いさんに何か云う。
 どうやら席がないとか云っているような……
 嘘でしょー! 何かの間違いだと云ってー!
 付き添いさんが係員に何事か話しかけている。忙しくキーボードを操作する係員。じっと係員を見つめる私と妹。
 パッと係員が顔をあげた。にっこり微笑む。
「オーケイ!エグゼクティブクラス」
 へ?
 一瞬、何の事だかわからなかった。

 水曜日――
 幸運にもビジネスクラスと呼ばれる座席で今か今かと着陸を待つ。座席自体はエコノミーより格段に広々していて、随分楽だったが、周りはスーツを着こなしたおじさまばかり。ジーンズにくしゃくしゃの綿シャツ、スニーカーというビンボー臭い格好の私と妹はちょっとばかり、居心地が悪い。
 体調は相変わらずで、インド風の機内食は喉を通らず、折角のタダ酒もパス。ただひたすら、おそばやソーメンや雑炊や、我が家の布団が恋しかった。
 そして、成田着。
 荷物は機内持ち込みサイズのリュックだけだったので、ターンテーブルの前で並ぶ事なく、税関を抜け、そそくさと乗り継ぎ便の受付カウンターへ。
「これは羽田からの便ですね」
 我々のチケットを見た係員の科白。
 だから、あれだけ念を押したのに……。
 チケットに記載された出発時刻まで30分とない。今から羽田までどんなに急いだって乗れるわけがない。一体どういう手配の仕方してるんだ、まったく!
 その時、怒りでつりあがった私の眼に今回の旅行を主催した旅行社のカウンターが映った。ここは日本だ。日本語が通じるんだ。思いっきり文句を云ってやる!  と息巻いて、カウンターにいた社員に乗り継ぎ不可能な便を手配された事を申し立てると、
「よその支店が手配したことなので……」という返答。
 あーっ、もう、いいっ!
 こんなの相手にしてたってしょうがない。なんでもいいから、早く家に帰ろう。新幹線を使う事にした私と妹は、頭から湯気をたてながら、東京駅行きのバスに飛び乗ったのだった。

 しかし、私を怒らせた事件はこれで終わりではなかった。
 これ程不手際が続いたにも関わらず、くだんの旅行社の支店長は菓子折を持って謝りに来るどころか、こっちが苦情を云いに行くまで、我々がどんな眼にあったかさえ知らなかったのだ。
 何度も同じ事を説明させられた挙げ句、お詫びについては後日と云って足代も渡されずに返され、1週間待っても2週間待ってもうんともすんとも云ってこず、電話してもちゃんとした返事をもらえず……
 再度足を運んで文句を云い……
 最終的に交通費と電話代プラスアルファくらいのお金は戻ってきたけれど、こんな旅行社、二度と使ってやるもんか、と思うような対応のまずさだった。
 その後――
 私自身、旅行社に勤めるようになった時、先輩に「オーバーブッキングで帰国が遅れた事がある」と話すと、航空会社を訊いた先輩はこう云った。
「あそこはダメよ。エアーインディアじゃなくって、エアーインチキって呼ばれてるぐらいだもの」と。



Episode28   サン・マリノGP余話
 F1ファンのかみつくにつき合ってサン・マリノグランプリを観戦する事になった。
 サン・マリノGPは名前とは違ってサン・マリノ共和国ではなく、イタリアのイモラという町で開催される。F1好きのイタリア人がどうしても自国で2回グランプリを開きたい(普通は1国1レース)といって、イタリアの中に収まっている小さな国サン・マリノの名前を借りたという話だ。
 レース中イモラに宿をとるのは至難しなんの業なので、キャステル・サン・ピエトロ・テルメ(日本語でいうと聖ピエトロ城温泉)という少し離れた町で日本から予約できる最低ランクの宿をとった。いくら離れているといっても、その時期に予約なしで宿が見つかるとは思えなかったから。
 日本から予約できる最低ランクの宿、といっても普段ユースの大部屋や、ぼろっちい民宿に泊まっていた私とかみつくにとってはかなりの贅沢ぜいたくだ。部屋にバストイレがついているだけでなく、バスタブがあり、熱いお湯がちゃんとでる。暖房はできるし、テレビまである、という日本では当たり前な事がめちゃめちゃうれしい!
 予選開始の朝――
 ホテルのロビーに面したカウンターで朝食をとっていると(立ち食いだったのよ、ここ。朝食付クーポンだったのに着いた時支配人に「うちは食事はださないよ」なんて云われてさ。でも、ほら、ちゃんとここに書いてあるって、クーポンを見せたら、ドリンクバーでコーヒーとパンを出してくれた)ガヤガヤと話し声がして数人の男達が入ってきた。
 ふと見ると
「あれ……あぐりだ!」
 そう、なんと我々はF1レーサー鈴木あぐり氏と同宿だったのだ。こんな安宿に泊まっていたとは。
 ど、どうしよう?
 なんて、別にあわてる理由はなかったんだけどさ。「頑張ってください!」って声かけたものかどうか迷ったの。かみつくは緑と黄色のブラジルカラーのTシャツにホンダの赤いキャップ姿で一目でセナファンってわかる格好してたし。こんな所でサイン求めるのも迷惑かなぁって。で、とりあえず、
「おはようございます!」とあいさつ。
「おはようございます」
 一瞬、「なんでこんなところで日本語が……」って表情をした後、さわやかな挨拶が返ってきた。
 なんか、すごくいい感じ!
 テレビで見てた時ってなんとなくお高くとまってるように見えてたんだけど、気さくな雰囲気で。今までは違ったけど、ファンになってしましそう……みたいな。
 でも、やっぱり、それ以上は話しかけられなかった私。レース前でピリピリしてるハズだしね。
 それにしても、あの耳は直に見てもやっぱり大きかった。





HOME

Next