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旅先の出来事 2
ギリシアに行って喫茶店で「カフェ(コーヒー)」を注文すると中東辺りでよく飲まれているようなちっちゃい器に入ったすっごく濃いコーヒーが出てくる。
普通、海外で飲食店に入ってもお金を払って注文しないと水は出てこないが、このコーヒーには口直しの水がついてくる、という日本人の口にはちょっと、という代物。
では普通のコーヒーを飲みたい時にはどうすればいいか?
「ネスカフェ」を注文するのである。
そう、日本ではよくインスタントコーヒーのテレビCFでお目にかかるあのメーカーの名前だ。
もちろん、ちゃんとネスカフェが出てくる。いや、私の舌はそこまで通じゃないから、本当にネスカフェかどうかはわからないが、それに類似したものが供される。
まあ、一部地域で醤油の事を「キッコーマン」というようなものだろう。
そんな感じの国なので、高級ホテルの喫茶室とかに行けば違ったのかもしれないが、私が町中で入った店では日本で云うところのレギュラーコーヒーというのにお目にかからなかった。いや、サントリーニ島にあった小さな喫茶店で、「カプチーノ」があると云われて飲んだものを除けば。
ミコノス島のある喫茶店ではコーヒーカップの中に一杯分づつに小分けされたネスカフェと粉末クリーム、砂糖の袋が入れてあるものと、お湯が入ったポットがいっしょに出てきた。自分で加減して作れという事らしい。紅茶を注文していた人はティーバッグとポットを受け取っていた。
旅の楽しみのひとつはなんといっても食べる事。
風日はずっとビンボー旅行ばっかりしているが、安くってもおいしいものはたくさんある。チューロとチョコラーテもそう。
スペインのヘレス・デ・ラ・フロンテーラでオープンカフェをみつけた。さわやかに晴れ渡った空の下、石畳の上に並べられたテーブルでみんながおいしそうに細長いきつね色の揚げ菓子を濃褐色の液体につけて食べている。
「あれ食べたいー!」
と席に着き、やって来たボーイさんに
「チューロ イ チョコラーテ」と注文する。 と、
「チョコラーテはあるけど、チューロはないよ」という返事。
「え、なんで? みんな食べてるじゃない?」と周りをしめすと、カフェから少し離れた所にある屋台を指差された。行ってみるとエプロン姿の小太りのおばさんがにこにことチューロを揚げている。
一口にチューロといってもいろんなタイプがあって、ここのは極細。油の中にソバくらいの太さの口金からドーナツ生地を絞り出すと、あっと云う間にちょっとばかり太った生地がきつね色に色づいて浮かび上がり、網状の杓子ですくいあげられて油を切られる。おばさんが芸術的な速さでそれをハサミでチョキチョキ切って紙に包んでくれた。分量はちゃんと量りではかってくれるから大丈夫。
テーブルに戻ってボーイさんが持ってきてくれたあったかいチョコラーテにあつあつのチューロをつけて食べる。
しあわせー!
チョコラーテっていうのはチョコレートドリンク。ココアよりずっと濃くってトロッとした感じ。フワフワに泡だってて甘すぎず、苦すぎず、チューロの生地にからまって、このとりあわせが最高。
マドリッドのカフェでは口金が波形で周囲に筋が入ったもっと太いチューロを朝食に。そこのはチョコラーテが分量あたりのチューロと接する面積が狭いせいかちょっと物足りなかったけど、でもやっぱりおいしかった。その店のチョコラーテがちょっと薄かったせいもあるかもしれない。
小銭で食べられて、小食の人間には結構一食分になっちゃうおいしい食べ物……ああ、また食べたいよー!
メキシコにいた時の事。
樹似が「ケーキが食べたい」と云うのでケーキ屋さんに行った。
トレイとトングが置いてあって、選んだ品物をレジに持っていく方式だったので、買い物ぐらい一人でできるだろうと樹似を放っておいた。と、店内をウロウロしていた私に、レジにいる樹似からお呼びがかかる。なんだかよくわからないが会計をしてくれない、と云う。
私が傍にいったのでレジのお兄ちゃんがまた一から説明をやり直してくれた。身振り手振りを交えたその話ではどうもこの店には喫茶室があって、店で自由に選んだパンやケーキをそっちへ持っていって食べられるが、持って帰るのか、食べていくのか? と訊かれているようだ。
「テイクアウト」と云ってみるが通じない。
イギリス式に(だったと思う)「テイクアウェイ」もダメ。
うーん、どうしたもんだろう? とレジの兄ちゃん共々頭を抱え込んだ。
あっ、そうだ!
スペイン語で『食べる』の原形は『コメール』である。スペイン語の動詞は主語によって形が変わる(つまり、「私が食べる」と「あなたが食べる」「我々が食べる」などでそれぞれ「コーモ」「コーメ」「コメモス」という風に変化する。だもので主語は省略される事が多い)ので、そんなとっさの時に文法云々が頭に浮かぶ訳もなく、
「ノ・コメール(食べない)」と口走っていた。
「アキ? (ここでは?)」と兄ちゃんがフォローしてくれる。
「シ! シ! (そう!そう!)」
やったね!
兄ちゃんがテイクアウト用のお会計をして、ケーキを箱にいれてくれ、一件落着。樹似はめでたくホテルの部屋でケーキを口にする事ができました。
ちなみにスペイン語で「持ち帰ります」は「Para llevarlos(パラ リェバールロス)」でした。勉強不足でごめんね、ケーキ屋のお兄さん。
バックに流れているのは朗々と響く生のカンツォーネ。
ギリシアのパトラスからイタリアのブリンディシへ向かう途中。アドリアティカ・ラインというイタリアの船会社が運行するフェリーの廊下での事。
以前にも書いたが、トーマス・クック(時刻表。赤い表紙のがヨーロッパ版)を日本に忘れた私とかみつくは船内に時刻表が掲示してあるのをみつけると、これ幸いとメモを手に走り寄った。
できればナポリに行きたいけど、夜行でローマかヴェネツィアに行けば宿代が浮く……
ってな事をかみつくと額を寄せ合って相談していると、横からニュッと白髪混じりのおじさんの頭が突きだし、イタリアなまり丸出しの英語でどこへ行きたいんだと訊いてくる。白い制服を着ているところを見ると船の給仕さんか何かだろう。
はっきり決めてないんだけど、あんまりややこしい会話はできないので適当な返事をすると、おじさんはサッと時刻表を見て、早口に何本かの列車の発車時刻をまくしたててくれた。到底覚えきれないし、どこに行くのかさえ決めていないんだから、ありがとうと云ってその場を去るわけにはいかない。
お礼を云って、また時刻表に向き合った我々におじさんはもう一度早口説明を繰り返し、それでも時刻表の前から離れない我々を見て、カンツォーネを歌い出した。
なかなか堂々たる歌いぶりである。よく通るすばらしいバリトンなのだが、何やら気恥ずかしいし、落ち着かない。しかたがないので、いったん船室に帰って、出直すことにした。
お辞儀をして、離れていく我々の耳に歌声が届かなくなったのは廊下を曲がってしばらくたってからだった。
翌朝――
船酔いでふらつく私を起こしたのは陽気なコーラスだった。
なんだろう? と思いながら簡易寝台につっぷしていた私をかっこよく制服を着こなした若い船員さんが起こしにきた。帰港までにはまだ随分時間があったが、部屋を片づけるとの事。
フラフラと荷物を持って廊下へ出た私の眼に飛び込んできたのは、リレー式に要領よく寝具を片づけながら、声を合わせる船員さん達。
部屋から寝具を投げ出す人、受け取って廊下の先に投げ渡す人、飛んできた枕やシーツをワゴンに載せていく人。大勢の船員さん達がいっせいにその廊下に面した部屋を掃除し、そのすべての動作がリズムに乗って滑らかに行われている。
そう、彼らはみんな選り抜きの合唱団員のように見事な歌声を披露してくれていたのだ。
イタリアじゃあ、船員の採用試験に『歌』があるんじゃないだろうか? と思わせる程、上手い。みんなとっても楽しそうで仕事をしているというよりはミュージカルのワンシーンを演じているみたいだ。
しかし、船酔いで苦しんでいた私にはちょっとハイテンション過ぎたかもしれない。
「あちゃ……?!」
アテネのとある裏通り。日本人がやっているという旅行社があると聞いて訪ねた先に「移転しました」の張り紙。
移転先の住所をメモしといると向かいにあった旅行代理店から貫禄たっぷりのおばさんが二人出てきて
「私達日本語話せます。どーぞ、どーぞ」と云う。
なんか、あんまりにもパワフルなんで気圧されて店に入ってしまった。
ホントはアント・ツアーズっていう名前だったんだけど、おばさん二人の体格とパワーでどすこいトラベルとあだ名をつける。
店内にはおばちゃん達と対照的に痩せたおじさんが一人いて、さっきの「日本語話せます」はどこへいったのやら、3人で交互にマシンガンのような英語を浴びせかけ、こっちが目を白黒させている間に、巧みに我々の旅程(って云っても、ここと、そこに行って、あ、移動や観光が続くと疲れるから何もしない日をいれて……って超いい加減だけど)行程表を組みあげてしまう。
「全交通、全宿泊、全朝食付きで、なんの面倒もない。ホテルはデラックス! しかも朝食は豪勢なアメリカンブレックファスト! うちで手配していけば、現地で個別に手配するよりずっと安い! おまけに安心!」
映画のワンシーンかと思えるような息のあったパワフルな口上に圧倒され、高額な布団を買わされた年寄りのように三日後からのエーゲ海巡りの手配を申し込んでしまった。
アテネからクレタ島のハニアまでの飛行機、クレタ島のイラクリオン→サントリーニ島→ミコノス島→アテネのピレウス港の船、朝食付きのホテル、空港までの送り、15泊16日を1人74000ドラクマで。
店を出て頭を冷やしてみると決して安くはない。もちろんホテルの格と朝食の質によるけれど。ふと気づいて店に舞い戻った。
ハニアからイラクリオンまでのバスがセットされていない。
「全交通付きって云ったじゃない?!」と頑張って、追加料金なしで、バスのクーポンをゲット!
多 分二人で2400ドラクマくらいの節約にはなったんじゃないかな?
でもなんか、こーゆー始まり方って、波乱の予感?
3月20日、曇り。5:30起床。寒い。
どすこいトラベルで手配したタクシーで空港へ。空港にはゴミ箱も灰皿もなくて、掃除の兄ちゃんネエちゃんがせっせと床の吸い殻その他を集めてる。バゲージチェックを抜けるとさすがに掃除屋さん達がいなくなって、灰皿とゴミ箱があったけど。
乗り込んだのはボーイング737、小型のジェット。オリンピックエアウェイのスチュワーデスさんの制服はブルーのズボンとオーバーコート。あったかそう。
空席の目立つ機内にはビジネスマンが多い。オレンジジュース一杯飲んでる間についっちゃった感じ。
バス(自腹。200ドラクマ。これもセットさせときゃよかった)で町へ。車窓から荒れ野を見てて、やっぱりギリシアって厳しい土地なんだと思う。
オフシーズンという事で街は閑散とした雰囲気。ツーリストが少ないのは湾岸戦争のせいもあったかもしれない。アテネにいた時、ブリンディシでアルジェリアからの難民騒ぎに巻き込まれて飛行機に乗り遅れたって人にも会ったし。
ルームの看板があちこちに出ていたうえ、ロウシーズン料金なので、これなら安い部屋がいくらでも見つかっただろうにと、またちょっと後悔。どすこいおばさん達につかまった時は昼食の時に飲んだワインで頭フラフラしてたしなぁ。
予約されていたホテルはCクラス。バスタブなし。とりあえず、お湯が出たのでホッとする。
3月21日。
朝食はめちゃ甘いオレンジジュースとポットのネスカフェ、ミルク付。でっかいパン。小さいチーズとバター。チェリーとアプリコットのジャム。カステラ一切れ。
これのどこが豪勢なアメリカンブレックファストだっちゅうの? ベーコンエッグとか、でっかいソーセージとかフルーツ入りのヨーグルトとかコーンフレークとか……ああ、云っても詮無[い。
でも、給仕してくれたおばさんに「エフハリストー(ありがとう)」って云うと「パラカロー(どういたしまして)」って極上の笑顔が返ってきて、ちょっぴりいい気分。
街の玩具屋さんでドラえもん電卓発見。別のお店では古い十字手裏剣を売っていた。900円くらいだったかな?
めずらしく日記があるあたりだったので、いつもと違う文体。ま、たまにはこういうのもいいでしょ。
「えーっ! そりゃないよ」
どすこいトラベルで渡された住所を頼りにその日宿泊予定だったホテルへたどり着いた私とかみつくはプーっと頬をふくらませる事になった。
3月24日。晴れ。
ホテルのレセプションで渡されたクーポンと引き替えにバス代(現金)をもらって、長距離バスに乗った。
岩山。カラッカラに乾いた岩山。大地にへばりつくように生える濃い緑の木々。斜面で草をはむ羊。何かの識別用なのだろうか? 時々、赤く染められた羊が混ざる。遠く、白い雪を頂く山々。
いくつか川らしいものを見たけれど、まともに水が流れていたのはひとつだけ。
海岸からいきなり切り立った岩山になる。もしくはほんの少しの帯状の平地を残して。
とろりと青い海。ギラギラ照りつける太陽。
イラクリオン到着。
長距離バスの発着場から近郊を巡回するバスに乗り換えて問題の宿へ。結構道に迷ったりしながら、やっとたどり着いたというのにレセプションで聞かされた科白は
「満室だから別のホテルへ行ってくれ」
ぎょえー! でなくてなんだというの。以下レセプションでの応答。
「そのホテルまでの地図ってある?」「ない」
「距離は?」「1キロぐらいかな?」
「どーやって行けばいい?」「タクシーで」
「それって、自腹だよね?」「そう」
そこで問答しててもしょうがないので指定されたホテルへ行く事にした。が、タクシーがなかなかみつからない。あうう。こんな事ならレセプションから呼んでもらえばよかった。でも、チップ払うの嫌だったし。
なんで、今朝のうちにハニアのホテルに連絡くれないかなぁ。荷物かついで随分ウロウロさせられたうえにタクシー代までかかっちゃったよ。
午後6時。イラクリオンを出港。
海上には靄がたちこめて視界が悪い。ものみなかすんで夕陽に染まる海もパステルカラー。綺麗なんだけど写真には撮れない曖昧な色。
10時前。サントリーニ島のニューポート到着。
今回はちゃんと迎えが来てた。私とかみつくの他に日本人の男の子。彼もどすこいさん達につかまったらしい。オンボロベンツに乗って断崖を登るグネグネした暗い道を猛スピードでぶっとばす。
うわあぁー!
かみつくの証言によるとメーターは時速100キロを超えていたそーな。
ホテルの部屋自体は綺麗で清潔。北欧調の家具がかわいい。けど狭いし、寒い。一応ヒーターはあったけど出力低くて役に立たない。バスタブなし。
翌朝、ホテルから大分歩いた所にあるスナックバーに朝食を食べに行く。
ホテルの親父さんは8時からと云ったのに開店したのは9時。30分無駄にした。昨日いっしょになった男の子は1時間待ったそうだ。
ひどく薄いトースト3枚。バター、ピーチジャム、コーヒー1杯。せめてゆで卵くらいつけて欲しい。日本で普通の定食を食べきれない事が多い小食の私が物足りないと思うような量。ごーせーなアメリカンブレックファスト、にはここでもお目にかかれなかった。
サントリーニは断崖の島だ。ここの住人はとんでもない所に家を建てている。
天気の悪い日に散歩していると雲というか靄というかが渦巻きながら吹き付けてきて、ゴオ――ッと崖下へ吹き下ろしていく。細い尾根道に立っている時は吹き飛ばされそうになった。風よけの壁がなかったら、ホントに落ちていたかも。
この島、シーズン中だけ、ペンションや土産物屋を開けにくる人が多いらしくて、ほとんどの家のドアや門に南京錠がかかってる。夏にはさぞ賑やかになるんだろうけど、オフって歩く以外にする事がない。
それにしても散歩のしがいのある島ではある。細い道の両脇にびっしり家が建っててクネクネとあがったりおりたり。しばらく進んで行き止まりの私道とわかって引き返したり……もしょっちゅう。
突然、目の前に広がる一面の緑。草のないところはブドウ畑。ブドウ棚じゃなくてグルッっと円を描いた形に仕立てられて地面に這いつくばってる。
ヤギ達は足首をロープで繋がれて草をはむ。ポツンとロバ。
時折、車やバイクが通ったけど歩いているのは私一人。
てくてく歩き続けて海に着いた。
黒い砂浜。
波も黒。波頭だけが白く泡立つ。波打ち際に白い帯。
黒いのは火山灰。白い帯は打ち寄せられてきた軽石。
宿へ帰ってみるとかみつくがちょうど帰ってきたところ。ギリシア人の兄ちゃんにナンパされてオレンジジュースをごちそうになったんだって。夜のダンスは断ったそうだけど。
「ううっ、寒……」
3月31日、午後10時前の、サントリーニ島のバス停。
泊まってたホテルのおっちゃんは9時に港へ行くバスが来るって云ってたのに……
周りで同じようにバスを待っている人達に持っていた使い捨てカイロを回して順番に手を温めてもらったら、とても喜ばれた。
「日本に行ったらカイロを買って帰ろう」っていう人もいた。
色々話してわかったメンバーの事。
私とかみつくの他に日本人の女の子が一人。連れの男性はアメリカ人だけど、日本語と中国語ペラペラ。
台湾人の男の子。経済専攻のオックスフォードの学生。日本にいたことがあって、ホンダで働いていたそう。来年またホンダで働くんだって。
北欧系っぽい女の子二人。片方の彼氏は春日井市に住んでいるそうな。
パスポートを盗まれて、友達が新しいパスポートを取ってきてくれるのを待っているというドイツ人の女の子は東京や九州を旅行した事があるとか。
なんか、みんな日本に縁のある人ばっか。
10時。やっとバスが来た。すんごいオンボロサスペンションのせいで胃がでんぐりがえる。
ニューポートからフェリーに乗り込んで、さあ、いよいよ明朝はミコノスだ。
トラベル=トラブル。この言葉は風日の為にあるらしい。ミコノスに着いた風日を待っていたものは……
ミコノス島の船着き場は人でごったがえしていた。
3月31日。午前4時。が、その日からサマータイムのはずなので、時計を1時間進めて5時にする。辺りはまだ真っ暗。
予約なしのツーリストを泊めようとする客引きの提示する値段を聞いて「ううっ。やっぱりフリで来るんだった」と思いつつ、どすこいトラベルで手配されているはずの迎えを探す。が……
「うっそォー! 誰も来てない」
そう、我々を出迎えに来た人間は誰もいなかった。
ちょっと遅れたのかも知れない、と人気のなくなった船着き場で待ってみるが、来ない。
この時間だ。無駄とは思いつつ、事前に知らされていたこの島での連絡先(バンクツアーという旅行社)に連絡してみるしかないと、入れ違いにならないよう、かみつくをその場に残して公衆電話を探して走り回った。
走って走って、走りまくってやっとみつけた電話だったが、教えられた番号にかけてみても誰もでない。かみつくの所に戻る。
しかし、そこは待合所のあるフェリーターミナルなどではなく、吹きっさらしのただの桟橋である。歯の根が合わなくなるような寒さに耐えきれなくなって、その辺りで灯りのついていた、たった一軒のカフェへと避難した。
せめて、今夜の宿の名前でもわかっていれば自力でいけるのだが、ぎりぎりまで手配できていなかったらしく、教えられていない。
ネスカフェを注文して、ねばる。が、他の客が誰もいなくなり、閉店準備を始められると居づらくなって、外へでた。
お店も開かない朝まだき。
もう一度、バンクツアーとどすこいトラベルに電話してみるが、やはり不通。
荷物を抱え込て冷たい地面にへたりこんでしまった。
ミコノス島の港の朝。
藍色の海。白い家。
これが夕飯すら食べ損ねた徹夜明けでなく、凍えるほど寒くなければ、どんなにか素晴らしかっただろう。
代理店の連絡ミスか、はたまた何かの事故なのか?
前夜、サントリーニ島を出港し、夜明け前に港に着いた船に乗っていた私とかみつくは、予約なしのツーリストを待ち構えていた宿の客引き達がすべて帰ってしまった後で、約束されていた迎えが来ない事を知った。島の代理店、エーゲ海巡りのすべての手配を頼んだアテネの代理店、どこにも連絡はつかない。
シーズンオフの港は人気もなく、疲れ果てて地面にへたっていた私の前を一羽のペリカンが横切る。
「あ、ペドロ君だ」
そう、風切り羽根を切られてヨタヨタそこいらじゅうを歩き回っていたのは、ガイドブックでおなじみ島のマスコットのペドロ君。なんかくれ、という風に寄ってくるが、私の方がなんかくれ、と云いたい。
そうこうしているうちに9時になり、再度電話に挑戦してみるが、繋がらない。
くっそー、絶対今日からサマータイムだって事忘れてるよ。
で、午前10時。やっとアテネのどすこいトラベルと連絡が取れた。事情を話すとしばらく待ってもう一度電話をかけてこい、と云う。仕方がないので、そうした。
ミコノスの代理店と連絡が取れない。宿の名前を教えるから、自分達でタクシーを使って行ってくれ、だってえェ!
あったまくる!
それじゃあ、迎えを待ってず――――っと、寒いのも、ひもじいのも我慢して、夜明かしした我々の立場はどうなるのさ。最初っからそういう事にしておいてくれれば……あーうー。
バカァ、バカァ、バカァ……と口の中でつぶやきながらタクシーを探した。
ミコノスの街でタクシーを拾い、教えられた宿へとたどり着いた私とかみつくは、遅い朝食(宿代に含まれている。ほんとはゆうべというか今朝早くから泊まっていたはずなんだから)をとった。
ネスカフェとジュース、パン、バター、イチゴジャム。
どうやらここでも『豪勢なアメリカンブレックファスト』には縁がないようだ。大体、宿からして農家が裏の畑をつぶして日曜大工で建て増ししたような感じ。どすこいで約束されたデラックスなホテルとはほど遠い。
後で色々文句を云ってやらなくちゃと思いながら、とにかく風呂に入って寝るぞー、とやっぱりバスタブのないシャワールームへ。
「うっひゃー!」
お湯がでない。いくら待ってもぬるま湯以下の温度。チョロチョロ。しかも、塩っぽい。余計に寒くなったうえ身体がベタベタになってしまった。宿のおばちゃんに云うと
「いつもなの」といなされる。
身体が冷え切って歯の根が合わない。山ほど服を着たまま、毛布を一枚余分に借りて(ベッドには薄い毛布一枚しかなかった)さらにアルミの保温シートをひろげて、寝た。寝返りうつたびに、保温シートがバサバサ音をたてて、うるさくて寝つけなかったけど。
後でわかった事だけど、船着き場に迎えに来るはずだったおっちゃんは、その日からサマータイムだと云うことを忘れて寝過ごしてしまい、気が付いた時には遅くなっていたから「ま、いっか」とそのまま迎えに来るのをやめてしまったようなのだ。
ひどい! ひどすぎる!
なんで1時間遅れてでも迎えにこないかなぁ。宿の名前も教えられてないんじゃ、自力で行く訳にいかないんだから。しかも、いくら交渉しても、その日の宿代は返してもらえなかった。泊まってないのにー。
ま、なんとか、電話代とタクシー代は取り返したけど。