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やって来ない客




 なぜか僕は急ぎ足。
 瀬水せなからTELがあったのは十五分くらい前。大事な話があるから駅前の喫茶店まで来てくれっていうんだ。

 ――大事な話?――

 こんな事は初めてだった。思い当たる節はない。
 僕は淡いブルーの自動ドアの前でしばしたたずみ、二、三歩踏み出してまた止まる。奥まったひとすみ、観葉植物の葉の陰に瀬水はいた。
星夜せいや……」
 気のせいか、瀬水の顔が蒼い。僕は彼女の向かいの席に腰をおろし、ブレンドをオーダーした。店内に客はまばらで、BGMのセミクラッシックだけが静かに流れている。
「なんなんだい、一体……?」
 僕の問いに瀬水はうつむき加減に黙り込む。
「黙ってちゃわからないよ。話があるんだろ?」
「星夜……あのね……」
「どうしたって云うのさ。そんなに云いにくい事?」
「あの……あのね……私……」
 コーヒーがきた。別に受け皿ソーサーにのったコーヒーカップが自分で僕のテーブルまで飛んできたわけじゃなくてウェイトレスのおねえさんが運んできてくれたんだけど。
「……お客さんが来ないの」
「へ?!」
 僕は口元までカップを運んだ手を止めた。蚊の泣くような声で一生懸命瀬水は続ける。
「月に一度のお客さんが来ないの……」
「何?!」
 結局、僕はコーヒーには口をつけずにカップをソーサーに戻した。
「月に一度のお客さん?」
 なんの事だかわからない。月に一度の客って一体誰だ?
「だから……ほら……あの……」
 まったく、これだから女の子ってやつは嫌なんだ。まるっきり要領を得ない。
「あ!」
 真っ赤になってモゴモゴ云っている瀬水を見ていて、ふっと思い浮かんだ。もしかすると、もしかして……
「まさか……?!」
 ガタンと椅子の音。
 瀬水はほんの少ぅし、安心したように頷いた。

 うそだろ――っ!!

 僕はゴクリと喉を鳴らし、瀬水の耳元に唇を寄せる。
「ほんとなのか? ちょっと遅れてるだけじゃないのか?」
 瀬水の長い黒髪がフワリと揺れた。
「だってもう二ヶ月以上よ。一週間と遅れた事がなかったのに……」
「う……」
 背中の真ん中あたりに冷たいものが流れる。身に覚えが……あったのだ。
「やばいよ。どうすればいい――?」
 とにかく、尻をあるべき場所に納め、コーヒーをひと口。舌が麻痺でもしちまったのか、なんの味もしなかった。
「病院に……行ってみるしかないと思うの」
 僕はほうっと溜め息。
「だろうな。お金はなんとかするよ。でも……。もし……。もし、何かの間違いじゃなかったら……どうする?」
「星夜はどう思っているの?」
「うん……」
 僕に答えるすべはない。嫌な思いをするのも、痛いと感じるのも瀬水なんだ。だけど彼女は僕に頼っているし、責任の大部分が僕にあるのも確かだった。どうしょうもない。
「姉貴に相談してみようか?」
星河せいかさんに?」
 姉貴がこういったたぐいの事で役に立つとは思えなかったけど、一応大学生だ。知り合いの中に経験おぼえのある奴だっているかもしれない。親父やお袋に知らせる事もないだろう。
「思い詰めるなって云う方が無理だろうけど、俺は逃げ出したりしないよ。それだけは信じてくれていい」
 云ってしまってから気付いた。科白の臭さに。
 まぁ、いいさ。とにかく僕はしばらく瀬水と話し合い、彼女を家へ送っていった。





 近所の子供のいたずらだろうか? クスノキの根本に盛り土がしてあり、《バナナのはか》と書いたアイスキャンディーの棒が立っている。足先でちょっとその土まんじゅうを崩してみるとバナナの皮が茶色い肌をのぞかせた。
 数本の常緑樹と小さな花壇。隣町にある小さな産婦人科医院の庭に独り立ちつくす僕。
 腕時計は外してポケットの中へつっこんである。だから僕は姉貴と瀬水が医院なかへ入ってからどれくらい時間がたったのか知らない。二人そろって早退っていうのも変かもしれないけど、ありがたい事に僕と瀬水の教室は二階と三階に分かれていた。
 ニセアカシアの葉っぱ。小さい頃、よく草笛を吹いた。今でも変わらぬ音がする。
「わっちゃ……」
 ちょっと強く吹きすぎたみたいだ。葉っぱが破れた。
「星夜――」
「お姉――」
 ガラスのドアを半開きにしたまま玄関に立つ姉貴に駆け寄る。
「瀬水は……?」
「星夜、あのね……」
 情けない事だけど生唾など飲み込んでしまう。
「検査の結果……ただの生理不順ですって。多分睡眠不足のせいで」
 膝頭がコンクリートの床と激突した。





「ねェ、これちょっとキツイんじゃない?」
めぐむもそう思う?」
「まァ、高校の部活動向きでない事は確かだな」
「云えてるゥ〜!」
「なんなんだよー!人が苦労して書いてきたっていうのに」
 僕は部室の机の上に散らばったレポート用紙をかき集めた。
「書き直してくるのか?」
 えいが平然とした表情かおで云った。何が『高校の部活動向きでない事は確かだな』だ。
「誰が!こいつが気に入らないって云うんなら俺はおろしてもらうぜっ」
「甘いな」
「誰がっ!」
「副部長に決まってンでしょ?あみだくじで負けたの、忘れたんですかァ?」
 美咲みさきの奴、一年生のクセに……
「あれは陰謀だっ。俺はクジなんかひいてない!」
如月きさらぎ君、無断欠席だったもンね」
「芽っ!おまえもか……」
「だってシナリオ書くのって面倒くさいんですもの。部費が少ないから制約が多すぎて……」
 一生嫁にいけないぞ、この陰険いんけん娘。
「と、云うわけだ、副部長」
「何が『と、云うわけ』なんだ?」
「君は来週までにシナリオを書き直してくる。本日は解散」
 映の言葉が終わるや否や、部室の中がからっぽになった。実に訓練が行き届いている。
怒り狂ってかなり大股に歩いているにも関わらず、美咲が追いついてきた。
「でも、よく書きましたね、あんな事」
「何が?」
 美咲はピョンピョン跳ねるようについてくる。
「《やって来ない客》ですよ。自分の名前使うなんて……」
「なんだ、そんな事か……」
「そんな事かって……」
現実味リアリティがあっていいだろ?」
「リアリティったって……」
「あれ、実話だって云ったら……?」
 美咲の足が止まった。


 



これ書いた頃はまだ薬屋で買って簡単に妊娠判定ができるチェッカーなんてなかったんだよねー。
表現とかもそうだけど、時代遅れだー。

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