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今夜の番組チェック

いろいろ

忘れられないワンシーン

 感動的とかそういうんじゃないのに、なぜか頭について離れない光景ってあると思う。
 たとえば、昔読んだ小説でストーリーも登場人物もよく覚えていないのに、一枚の絵のようなイメージだけが、何かの拍子にパッと浮かぶっていうか。
 本からのイメージに限定すると風日の場合、時々思い浮かぶイメージがみっつ。どれも小学生の時に一度読んだきりの小説のシーン。
 これから書く事は風日が勝手につくったイメージなので小説の描写とは矛盾しているかもしれないけど。(なにせ読んでから随分たっているし)

 一番強烈なのは江戸川乱歩の「火星の運河」という掌編の場面。
 鏡のような水面を持つ小さな湖だか沼だかの真ん中に浮かぶ岩の上に、全裸の若く美しい女性がいて、鋭い岩角で自分のなめらかな肌を傷つけ、血を流す。
 踊るように、歓喜に満ちて――
 あくまでも静かに。
 赤い火星に網の目のように走る白い運河を逆転したように、白い肌に赤い溝が彫られていき、流れる血は岩を伝って水とまじわり……
 ストーリーとか何もない、ただ白日夢を描写しただけという小説だったけど、幻想的としかいいようのないこの場面が頭から離れなくて。

 マーク・トゥエインの名作「ハックルベリィ・フィンの冒険」に登場したエメリン・グレンジャーフォード(この名前も何故かすごく印象に残っている)という少女が描いた一枚の絵。
 少女が月を見上げているんだけど、その絵の中の少女には腕が3組あった。
 一組は助けを求めるように頭上に差し出され、一組は祈るように胸の前で手を組み合わせ、残りの一組は腰の辺りでもみしぼられている。
 エメリンは絵の中の少女にどういうポーズをとらせるか迷って、後で余分の腕を消すつもりで色々描いてみた、って事らしい。(油絵なので可能。今ならCGで簡単に3種類の絵が描けるけどね)
 でも、油絵なんて描いた事のなかった当時の風日にはすごく奇妙に思えたんじゃないかな?
 エメリンが少女のポーズを決めかねた心情に共感したせいが大きいとは思うけど。どのポーズも捨てがたい、ってね。

 夏目漱石の掌編「文鳥」
 漱石が人に勧められて文鳥を飼ったんだけど、世話をしないで飢え死にさせてしまった。
 そして、文鳥が死んだ時、日に当たると綺麗な朱色に変わると聞かされていた、漆塗りの黒い鳥籠が美しい朱色になっていた、という話。
 日当たりのいい縁側に置かれた朱塗りの立派な鳥籠の中、殻ばかりになった陶器のエサ入れの隣で足を上向けて冷たくなっている文鳥の姿が心の目に焼き付いて離れない。

ひどすぎる翻訳

 先日読んだミステリの翻訳があまりにもひどかったのでいきどおっている。
 くだんの小説からの抜粋。
「おれ、○○のことが頭にあるのだ。おれが、パリのスミス・ティールームできびしく追求したあの子。ロンドンで訪ねたまま母レディー△△の娘よ。XXがマルセイユからずっとつけてきて、港の写真を撮りまくっているところを目撃してきている娘だ。みんな冒険のつもりっていって、旅に出ていった娘のはずなんだぜ。どうして、□□がまだかの女を必要としているのか、考えられんのだ」
 これが40代で地位もある男のセリフ? 他にも
「そうしてください。かれ、下で待っています、みんなと」とかね。
 登場人物の誰か一人がこういうしゃべり方をするっていうんならまだわかるけど、全員がこの「インディアン、ウソ、つかない」式のセリフまわし。
 翻訳ソフトを使ってそのまま本にしちゃったんじゃないか、っていうのは大袈裟おおげさとしても、地の文まで含めて全編がこんな感じじゃあすごく疲れる。
 語尾に何かついてると思ったら大の男が「……よ」「……わ」「……ね」「……じゃない?」だし、「ううん」だの「いやあ」だのオカマっぽくってしょうがないし。
 ずっと頭の中で書き換えて読んでた。
 じゃあなんでひどいひどいと云いながら読み続けたかっていうとシリーズ物の一編だったから。他の話は翻訳者が違ってたの。話的には結構面白いし。
 あと言葉遣いだけじゃなくて
『シャレをとばした』と書いてあるのに全然シャレになってないとかも嫌だった。
 同じシリーズで冷戦時代のソ連の将軍が部下に
「どうしてですか?」と訊かれて
「同志の事だ。どうしようもない」
 っていうようなシャレがあって、寒いのは確かだけど原文はなんだったんだろうって苦労の後がうかがえたのに、この本ではそれがなかった。適当な日本語を考えられないんなら、せめて原文のシャレをカタカナで横に書き添えるくらいの事をしてもいいんじゃない?

 いい男といやなヤツ

  はっきり云ってしまおう。
  風日の旦那は本や映画などで風日がれる男性と正反対のタイプだ。じゃあなんで結婚したかというと「いい人」だったから。
 つまり、風日が惚れるキャラクターは大抵「いやなヤツ」だったりする。必ずしも全員がそうというわけじゃあないけれど、ピリッとした緊張感があって眼光鋭いナイスガイ。シニカルで自信過剰で強引でちょっぴりキザなタイプ。わがままで嫌味なヤツともいうかもしれない。プレイボーイな事も多い。
 ついでに危ないお仕事をしている事も。
 そんな男と関わりを持ったりしたら、よくて突然姿をくらまされておしまい、悪くするとなんか事件に巻き込まれて殺される、いいことなんか全然ないよっていう。
 そこまでひどくなくて勢いで結婚なんかしても、家庭をかえりみない夫にプッツンきて離婚が関の山だね。あるいは旦那の事心配しすぎて神経衰弱になるか。
 ようするに現実にそんな男がいたら、堅実派の風日は「さわらぬ神にたたりなし」と近くに寄ろうともしないか、もし何かの拍子に関わりになってしまったりしたら「あんた何様のつもり?」と云って張り倒したくなるような男に惚れちゃうのよねー。
 いや、でも、実際にそんな御仁にお目にかかった事はない訳で、もし本当にそんな男性にめぐりあえたら、日頃の現実主義はどこへやら、理屈もへったくれもなくほにゃららとなって……
 ってな夢想もしないではないけれど、やっぱり逃げちゃうだろうな、心配性の怖がりだから。
 冒険はしたいけど、苦労したり危ない目にあったりするのは嫌、ってのは無理な話。
 愛に生きる美しい乙女でありながら雄牛の姿に変えられたという二面性を持つ牡牛座、更には几帳面さとざっくばらんさに代表される二面性を持つAB型の風日にとって理想の恋人と理想の旦那はかけ離れた存在なのかなァ。

ごめんなさいィ?!

 あるテレビ番組で俳優さんの演技力を試す為に「演技力を駆使して怒ってみせ、悪くない人間に謝らせる」という企画があった。
 うちの旦那を謝らせるのは簡単だ。
 なにしろ誰かに怒られたら「なんかようわからんけど、とりあえず謝っとこ」と考える男だから。
 風日は旦那のそういうところが大嫌い。
 旦那のごめんなさいはちっとも悪いと思っていないって事だから。
 何を怒られているのかすらわかってない人間に謝られてもうれしくないどころか腹がたつ。理由がのみこめてないって事はまた同じ事をするかもしれないし。
 ビジネス上ならそういう処世術も必要だろう。あるいはビジネスとまでいかなくても円滑に世間を渡っていく為に。
 でも友人とか家族とかそういう対等であるはずの人間にはして欲しくない。
 謝るなら自分が悪かったと納得して謝って欲しいし、悪くないと思っているんならちゃんと「オレは悪くない」と最後まで頑張って欲しいんだけどなァ。

銀河の求愛ダンス

 テレビで私達のいる天の川銀河とアンドロメダ銀河が30億年後だったかに合体して大きな新しい銀河になるところのシュミレーションCGをみた。
 時速50万q(だったっけ?)で接近してゆくふたつの銀河。
 でも最初出逢った時は互いの速度が速すぎてすれ違う。けれど、すぐにお互いの重力にひかれて再接近。
 まるで足早に町を歩いていた男女がすれ違った瞬間、運命を感じて二人同時に振り返ったように。
 何故自分は振り返ったのだろう? 何故相手は振り返ったのだろう?
 そう思いながらも先を急ぎ、また歩き出す。でも、何かがひっかかる。ひょっとして昔知っていた誰かだったろうか?
 いてもたってもいられなくなって引き返す。すると相手もまた自分を探していた。
 恥じらいながら自己紹介。用があることを思い出して、また会う事を約して別れる。
 次に逢った時、二人は急速に惹かれあい、おずおずと手を重ね、ワルツを舞う。
 まわって離れ、まわって触れ合い、クルクルと互いの位置をかえ、遠慮がちに添えられていた手がいつしかしっかりと腰を抱き……
 ダンスを終え、抱擁しあった二人はやがて溶けあいひとつになる……
 何千万年何十億年の宇宙の営みを数十秒に凝縮した映像の魔法。
 輝く星々の渦巻きが華麗に舞う様を見てそんな事を想ったりした。

花柄模様の雨傘

 確かそんなタイトルだったと思う。
 何しろ小学生の時一度読んだきりの話だ。学研の夏の読み物特集号に載っていたと記憶している。
 主人公の名前は忘れてしまった。小学生の女の子だ。同じクラスに名字が同じいとこがいる。
 主人公が勉強も体育も何もかも普通かそれ以下のおとなしい子なのに対していとこは活発で成績も良い。
 かわいい花柄模様の雨傘を買ってもらった主人公は雨が降りそうなその日、新しい傘をいとこに見せたいと思ってうきうきしながら登校する。家も近いいとことはいつも途中までいっしょに登下校する仲良しでもある。
 いとこの顔を見たとたん傘を開いてみせたかったが、雨も降っていないのにそんな事をすると笑われるんじゃないか? などと考えているうちに学校に着いてしまう。帰りは雨が降っていたらいいな、と思いながら 授業を受け、給食が終わり、そして帰り際。先日受けたテストが返ってきた。
 先生が出席簿順に名前を呼び、一人一人教室の前まで答案用紙を取りに行く。
 いとこと主人公は名字がいっしょなので二人並ぶように答案を受け取った。
 クラスのみんながわざめいている。
 点数のみせっこをして嘆いたり、自慢したり。
いとこのまわりから歓声がわいた。彼女が100点を取ったのだ。主人公の点数は……70点かそこら。今回はテストの前に一生懸命勉強したおかげですごくよくできたと思っていたのに。
 すごすごと席に戻った彼女はどこを間違ったのだろうと答案を見直そうとして、気づいた。
 自分の答案じゃない!
 その答案用紙にはいとこの名前が書かれていた。と、いう事はいとこが持っている100点満点の答案が彼女のもの!
 生まれて初めてとった100点。
 名字の同じ二人が殆ど同時に取りに行ったせいで先生が渡し間違ったのだ。いとこは気づいていないのか?
 いつも成績がいいせいでクラスのみんなから「やっぱり」とか「当然」とかいう言葉で褒めそやされてうれしそうにしているいとこを見ているととても「その100点は私のよ」と云い出す事ができない。
主人公に対する「何点だった?」という問いかけにも名前の部分を隠して、あまりふるわないいとこの点数を見せてしまう。
 先生が騒ぎをおさめて終礼。いとこといっしょに帰路につく。
 答案が入れ違っている事をなんといって云い出したらいいんだろう?
普通の会話さえする事ができずにドキドキソワソワする主人公。だけど、ちょっとおかしい。主人公がおとなしくて無口なのはいつもの事だけど、普段は次から次へと話題をみつけて主人公に相づちをうつ暇くらいしか与えてくれないようないとこが、おしゃべりもしないで黙々と彼女の隣を歩いている。
 そうか、彼女も気づいていたんだ。
 でもだったらどうしてみんなの前でそう云ってくれなかったんだろう。今だって彼女の方から云い出してくれてもよさそうなものじゃないか。
 ホッとしたような、恨めしいような……
 でもいとこの家と彼女の家との分かれ道までやってきて、とうとう主人公はランドセルから答案用紙を取り出した。
「あ、そう」というようなそっけない言葉でひったくるように答案を受け取り即座にしまい込むいとこ。
 主人公もさっさと自分の答案をしまった。
 その時、朝から待ち望んでいた雨が降り出し、お気に入りの新しい傘をひろげる主人公。
 本当ならうれしそうにいとこに見せているはずだったのに。
「それ、新しい傘ね」
 ポツリといとこが云った。気づいてくれたのだ。少しうれしくなった。
だけどやっぱりなんにでも目ざとい彼女が答案の入れ違いに今まで気づいていなかったなんてあり得ない。
 いとこの気持ちを思って哀しくなった主人公は
「もう二度といとこよりいい成績をとるのはやめよう」
 と決心したのだった。

 何しろ遠い昔に読んだ話。かなり私が作っているかもしれない。だけど、最後の主人公の決意が悔しくて、なんだかとても情けなくて、同じ雑誌に載っていた他の話は何度も読み返したのに、この話だけは一回読んだだけだった。
 それなのに他の話を押しのけていまだに印象に残っている。読み終えた時の不快感といっしょに。

言葉の響き

 最近速読術がはやりだそうだ。身につければ1ページ読むのにほんの数秒あればよくなるとか。
 どうしてそういう事ができるのかというと、普通本を読む時は声を出すださないに関わらず文字をひとつずつ目で追って、頭の中で音を認識する。だけど速読術は音を拾わず、文章の意味だけを拾いあげるのだという。
 誰だって使える時間には限りがある訳で、資料本を読む時なんてすごく便利だろうな、勉強してみようか? なんて思ってみたりもする。
だけど、もしそういう読み方しかできなくなってしまったりしたら……?

 風日は言葉の響きが好き。
 リズムの良い美しい詩歌、枕草子や徒然草のような軽妙な随筆、昔話の「おむすび ころりん すってんてん」とか「どんぶらこっこ どんぶらこ……」とかいったユーモラスな語り。
 小説の、軽快だったり、緊迫感をはらんでいたり、美しかったり……ほんの数行読むだけで引き込まれ、ぐいぐい続きを読まされてしまう力のある文章。
 そういったものを味わう為にはしっかりと一音一音頭の中で音を確かめ、楽しみながら読む必要があると思う。
 そう、音を楽しむと書いて音楽というけれど、話し言葉にだって書き言葉にだってメロディがあるし、リズムもあるよね。言葉を話す、書く、という事はそのまま音楽を演奏しているようなものじゃない?
 それに言葉には表面的な意味の他に隠された意味を持たせる事もできる。
 掛詞かけことばがそうだし、両義性を持つ単語だって少なからずあるし、主語と修飾語の関係をわざと曖昧にしたり(この問題を論じる時はよく「美しい水車小屋の娘」という時、美しいのは水車小屋なのか娘なのかというような例がひかれる)、本音と逆の事を云う皮肉なんてものもある。
 それに単に言葉の響きを楽しむ為の言葉。
 クウェルクェッククータイルクェック(ゼラズニイの小説にでてくるイルカ語)やドボチョーンドロドロバリチョーンチョン(あるアニメの科白)とか。
 速読術ってそういう意味のない言葉は無視されちゃうのかな?
 そんなの寂しすぎるよ。表面的には意味なんてないように思えてもそこにはちゃんと意味があるんだから。
 谷川俊太郎さんは
「詩はわからなくても、たべもののようにあじわうことができるんだ。詩を読むとこころがひろがる。詩をこえにだすと、からだがよろこぶ。(中略)詩はいいけしきのように、わたしたちにいきるちからをあたえてくれる、ふしぎなもの」
 とおっしゃっているけれど、私はこの「詩」という文字を「言葉」に置き換えてもいいんじゃないかと思う。
 みんな子供の頃は意味なんて全然わからなくても「ちちんぷいぷい」には何かの力を感じてたんじゃないかな?
 速読術って、そんな素敵な言葉の響きをどぶに捨てちゃうようなものなんじゃないかな?
 なんてそれを勉強した事もない人間が云うのはおかしいかな? 間違ってるかな?
でも、情報誌を読むのならともかく、小説を、詩を、随筆を読むのならそんなに早く読み終わっちゃったらもったいない。ゆっくりじっくり、ひとつひとつの単語、一音一音の音を楽しみながら読もうよ。頭の中にオーケストラを抱えて。
 速読術を身につけていらっしゃるどなたか教えてください。速読で小説を読んで泣いたり、笑ったり、憤ったり、せつなくなったりできるものなんでしょうか?

空をとんだ機関車

 蒸気機関車が空を飛ぶというと「銀河鉄道の夜」や「銀河鉄道999」を思い浮かべる方が多いんじゃないかな?
 でも風日にとって空を飛ぶ機関車と云えば星の夜空ではなく、青い空を飛ぶ機関車を描いた絵本。
 ディーゼルや電気の機関車に席を譲るべく引退しようとしていた蒸気機関車が機関士や機関車を愛する人達の声援で空を飛ぶことができるようになった、というお話だったと思う。
 小さいときに読んだきりなので細かいことは忘れてしまったけれど、あわやスクラップにされかけた蒸気機関車が空を飛び、喜びを伝えるべく響かせた力強い汽笛
 ゴッゴッシュッシュッゴッゴッシュッシュッボッボッブラボー!
 は今でも時々風日の心に響いてくる。
 なんだかとっても勇気づけられるような響きだと思いませんか?
 僕は頑張ったよ、生きてるって素晴らしいよ、って。
 絵本を読んでから随分長い時間が過ぎたけど、テレビなんかで蒸気機関車を見ると彼らがゴッゴッシュッシュッゴッゴッシュッシュッボッボッブラボー! といって走っているような気がしてしょうがない。

読み返せない物語

 たとえば「かた足ダチョウのエルフ」という絵本。
 大きくて誰よりも強くて、やさしいダチョウだったエルフがライオンに襲われた子供達を助ける為にライオンに闘いを挑み、見事に撃退する。でもその闘いでエルフは片足を失ってしまった。
かた足しかないエルフはピョコタンピョコタンととてもゆっくり進む事しかできなくて、それもすぐに疲れてしまって充分なエサを探す事ができない。
 初めの頃は子供達を助けてもらった親達が僅かでも食料を持ってきてくれたりしていたのだけど、みんな日々の生活に追われて、徐々にエルフから遠ざかっていく。
それでもエルフは子供達が元気に遊んでいる姿を見、声を聞いているだけで幸せで……

 伸たまきの短編マンガ「Moon Cat」
 異星人と恋をしてその子供を産んだ(と信じている?)女性が主人公。小学生になった娘に
「ママは麻薬でもうたれてゆきずりの男にレイプされて私を身ごもったのよ。異星人なんて月の猫とおんなじでどこにもいやしない」
 などと云われても、一夜限りの出会いの思い出を大事に抱え込み、娘の父親に深い愛をいだき続けている。
 そのせいで目の前の幸せにも気付かず……
 摩天楼そびえるコンクリートジャングルを舞台にした童話のような話。

 このふたつの物語はどちらもハッピーエンドといえなくもないのだけど、読んだとき涙があふれてきてどうしようもなかった。可哀想、とか哀しい、とかいうのとはちょっと違う。ただ何というか声もなく涙が……
 単に風日の涙腺がゆるいだけかもしれないけど、上記2編に限らず、とても気に入ったのに読み返せない物語というのがあって、それはまた泣くのが嫌だからという訳でもなく(確かに泣くと頭が痛くなったりとか、まあ色々あるので嫌ともいえるけど、基本的に泣かされる話って好きなのよね)、最初と同じ感動が得られないかもしれないという恐れ? とも思うけど、こうやって皆さんに紹介する為に粗筋を思い出しただけでしっかり泣いてしまったくらいだから、そうでもないんじゃないかと思うし……
 よくわからないけど、お気に入りの再読できない話、というのが結構あるのです。
 ついでに風日の涙腺がどれくらいゆるいかというEpisode。
 アニメーション、ネオファンタジアの中で「哀しみのワルツ」にのせて描かれた猫の話。
 廃墟を徘徊する猫が飼い主達といっしょに暮らした楽しい時を回想する、という科白も何もないごく短い映像なんだけど、これが3回(1回はテレビで、1回は専門学校の授業で、1回は国際アニメーションフェスティバルで)観て、3回ともじわっときてしまった。
 しまいにネオファンタジアのLDのジャケットに描かれた猫の絵を見てうるうるし始めた、というアホと云われても仕方のない思い出がある。
 テレビアニメ「ガンバの冒険」のエンディング曲「冒険者達のバラード」を聴いただけでじわっときた。
その他、数え上げたらきりがない。はっきり云って「泣け」と云われたら大抵の場合30秒もあれば何か泣けるものを思い出して涙が浮かんでくるだろう。

猫に費やす時間

 こないだ本屋でパラパラとめくっていた本にこんな事が書いてあった。
「飼い主が猫の為に使う1日あたりの平均所用時間は最初の猫1匹に対して33分。多頭飼いの場合はそれにプラスする事(猫の数) X 9分」だ、そうだ。
 どういう計算に基づいて算出した数字かわからないけれど、エサやトイレ砂の買いだし、トイレ掃除、エサやり、ブラッシング、爪切り等々にとられる時間を考えると、まあ妥当な線かな? と思う。
 この数字の覚え方(こんなもの覚えてどうするんだ? とは思うけど)もなかなかなもので
「猫なんか飼うと散々(33)な目にあい、1匹増えると苦(9)も増える」ときた。
 おまけに上の数字はあくまでも基本的な世話にかかる時間なので、風日のように
「身体を掻け」「膝に乗せてじっとしてろ」「いっしょに遊べ」
 といった命令を受けるタイプの飼い主は特別労働時間を加算しなきゃいけない。
 ハインラインの小説「夏への扉」によれば
「文明の曙光が射してからこのかた、人類は978世紀分の時間を猫にかまけて費やしてきている」そうだ。
 この文章が語られたのは作中では1999年という事になっているから2002年の現在ではもっと数字が増えている事だろう。
 それにしても……
 昔は「ネズミを獲る」という立派な仕事があった(現に今日本にいる猫の多くはペストの蔓延まんえんを恐れた政府が海外から輸入した猫の子孫だという話を聞いた)猫達だけど、今ははっきり云ってただのごくつぶし。そんな彼らにどうしてそこまで時間をさいてしまうのか?
 最近は値段の高い無添加のキャットフードを選んだり、やれワクチン接種だ、フィラリア予防薬投与だといった病気予防にお金をかけるなんてのは序の口で、猫をリラックスさせるローションだとか猫のマッサージ法の本なんてのを買う人もいる。(うちは最初のふたつしかやってない)時間だけでなくお金もかけてしまうのだ。
 しかし、筋道たてて猫の良さを説明できる飼い主はいないだろう。
「猫なんて、どこがいいの?」
 と訊かれたら、風日だって答えにきゅうしてしまう。だって猫って
「自分勝手で、役に立たなくて、芸ひとつするでなく、寒い朝に布団にもぐり込んできて冷たい肉球を素肌にくっつけてくれる」ような連中だから。

前? 後ろ?

こないだ妙な事で旦那と議論した。
「”カーソルの後ろ” という言葉が指しているのはカーソルの左、右どちら側か?」
 風日はカーソルは左から右へ進んでいくんだから、進行方向、つまり ”右が前で左が後ろ” って意見なんだけど、旦那は文章というのは画面上で左から右に読んでいく。つまり左が始点。だから ”左が前で、右が後ろ” だって云うのよね。
 私が「 backspaceキーを使うとカーソルの左側が消える。つまり左がバック(後ろ) なんじゃない?」って云うと旦那はパソコンの取扱説明書を引っぱり出してきた。
 で、書いてあった言葉は ”バックスペースキーはカーソルの左側の文字を消します” これじゃ役にたたない。
 それで旦那は自分の掲示板で他の人の意見を求める事に。そしたら常連さんの中にそれが気になって仕方なくなっちゃった方がいて、こんなお返事が……
「『2001年版標準パソコン用語辞典by秀和システム』を引いてみたところ “バックスペース:カーソルを1字前に戻すと同時に、その位置にすでにあった文字を消去する機能” 秀和システムによると、岩根さん(旦那の事)有利という事でしょうか」
 でも、その意見のすぐ後に
「用語辞典の ”前” は文脈から見ると ”一つ手前” の意味のような気がします。 ”自分の眼の前” の ”前” と ”一つ手前” の ”前” の違いのような……。(ある動作の一つ手前の動作って言った方がいいのかな?)」
 というご意見。
「backspace自体はコンピュータ用語ではなくて、タイプライターの時代からあるものです。もちろん1字分戻るだけで、そこにタイプされた文字は消せませんが、結構使うキーです。
 ほんでもって、backには ”後ろ” という意味と同時に ”以前” という意味もあるので、backspaceは、1スペース分以前いた場所へ戻るってことだと思います」
 という書き込みも。
 この問題みなさんはどう思われますか?
 掲示板の書き込みを借用させていただいてしまった皆様、もしお気に障ったらごめんなさい。

もうここには戻ってこれないかと思った

 風日はポストペットというメールソフトを使っている。パソコンの中でペットを飼ってそれにメールを運んでもらう、というお遊びソフトなんだけど、このペット、メールを持っておつかいにいくと「ひみつ日記」というメールを送ってくる。
 むこうで何回なでられたとか、どんなおやつをもらったとかいう事が書いてあるんだけど、最後の部分にかならず「びっくりしたあ」とか「もうすぐかな」とかいった脈略のない言葉が書きそえられている。
 ある日のひみつ日記に「もうここには戻ってこれないかと思った」と書いてあった。
 それを読んだ時の風日の反応。
 ペットが事件に巻き込まれた、と想像して、
「一体何があったんだ?」と呟いた。
 ちょうど横に旦那がいたのでペットの言葉を伝えると、返ってきた言葉は
「どんだけ迷ったんや?」
 自分が方向音痴なので、そっちの方に頭がいってしまったらしい。
 これは面白いかも、と思って数人に「あなたのペットが『もうここには戻ってこれないかと思った』と云ったら、その原因はなんだと思いますか?」と質問してみた。
☆答その1(たまに自分のペットがそういう日記を書くというKさん)
 私は、「風日さんのところがあまりにも居心地よすぎてうちに戻る気が失せた」のか!? とひやひやしているのです。(笑)
☆答その2(やっぱり以前にそういう日記を読んだというMさん)
 「むっちゃなでられた」の後に書かれてたんで、「可愛がられすぎてもうその部屋から返してもらえないかと思った」というふうに取ったんじゃないかな?
☆答その3(ポスペはやってないけど、訊いてみたかみつく)
 監禁。
 だってさー。私のかわいいペットなのよ。ほかの人だって可愛いと思うわよ。帰したくなーいって思うの、とーぜんでしょ?!

 ちょっと性格判断ができそうだなー、と思ったりして。



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